大学中退ブログ

社会不適合でもいいじゃない(∩´∀`)∩

学歴コンプレックス?学歴で悩む必要は全くないよ!

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この記事を読んでほしい人

・学歴で悩みがある人
・高校生

 こんにちは、ゆーたです!(@yuta_okinawa)

 突然ですが、学歴コンプレックスについてどう思いますか?

 

私は学歴に悩まされた経験がありますが、「学歴で悩む必要はない」という結論に至りました。

 いろいろな考え方があると思いますが、1つの見解として読んで頂ければと思います!

 

※大学受験制度や大学を批判している内容ではありません。学歴に偏向しすぎているのをディスってる記事です。

 

 

学歴で悩む必要がない理由

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 私は大学に4年生の6月まで在籍していたので、大学の授業や学生についてはある程度知ってます。

そして学歴について、頭がよじれるほど考えましたが、毎回「学歴で悩む必要はない」という結論に行きつきます。

以下、在学中感じた学歴で悩む必要がない理由3点。

 

『勉強』は1つの物差しであり全てではないから

学歴社会では、学歴の違いによってキャリアや社会的威信や地位が決まりますが、学歴のみで個人の能力を決めるのは無理があると思いませんか?

 

そもそも、学歴で測れる能力は、一般的に私立大学の場合3教科、国公立大学の場合は7教科だけです。

【受験科目】
私立大学 →3教科
国公立大学→7教科

 

学歴社会では、これら教科の点数の高い順に評価されます。

しかし、絵を描くのが上手い人、プレゼンが得意な人、体力がある人など人の能力は千差万別です。

 受験勉強のような座学が苦手な人でもコミュニケーション能力が高い人やチームメイトを巻き込む力に優れている人など、人の長所は人の数だけあります。

 

そのため、特定の受験科目だけで評価が決まってしまうのは、多様性がなく不合理です。

 

もちろん、受験勉強が得意なことに越したことはありませんが、様々な能力を広く評価されることが重要です。

受験勉強ができるということは能力の1つにすぎません。

 

大学入学後に勉強すればOK

 勉強だけが全てではないとはいえ大学入試がある以上、ヒエラルキーはどうしてもできます。

しかし、そのヒエラルキーはあくまでも大学入試時点のもので、就職活動や社会的威信の判断材料に使われるのは違うと思いませんか?

 

東洋経済オンラインでは、就職活動の際に学歴が判断基準に使われる理由を以下のように説明しています。

エントリーが殺到する人気企業の人事だと、応募学生全員を丁寧に見ていったら期限内に採用活動を終えることはできません。少しでも業務効率をあげるために、企業での勤務経験がないという特性を持つ日本学生の採用については、“学歴による優秀である可能性の高さ”にすがって「学歴フィルター」をかけ、母集団(志望者)を絞った採用活動を行うのです。

参考:就活「学歴フィルター」がなくならない真因 | 就職四季報プラスワン | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

 このように採用する側も、『学歴と優秀さの関係』に疑問を持ちながらも、学歴に偏向している現状があります。

 

そうなると冷静に考えて、入学時に決まる学歴より、入学後の勉強の方が価値が高いのではないでしょうか。 

学歴は入学時点の学力を測るものであり、優秀さを測る基準にはなりえません。

知識やスキルが必要になったら、その時から勉強すればOKです。

 

大学で勉強している人は多くない

 あくまで私が通っていた大学ですが、多くの学生が全然勉強していませんでした。

私や周囲の友人は出席点がある授業には参加し、資料がネット上で公開される授業には欠席することが、日常茶飯事です。

 

そして多くの学生にとって、大学の授業は知識やスキルの 習得ではなく、単位の取得が目的になっていました

 

また以下のような、客観的なデータもあります。

【日本の大学生、1週間の勉強時間】
文系→32.2分
理系→59.6分

参考:これが世界の大学生の勉強時間だ!気になる日本の学生は…? | co-media [コメディア]

 

 このように大学は教育機関として形骸化しており、さきほどの『学歴と優秀さの関係』はさらに怪しいものになります。

 

なぜ、日本では学歴に価値が置かれているのか?

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これといった理由がないのに、なぜ就活や社会的威信で学歴基準が支持されているのでしょうか。

 

 今、社会に存在する『学歴と優秀さの関係』は1990年代まではある程度機能していて、その名残りが現在にも影響をもたらしていると私は考えています。

理由は以下の2つです。

 

インターネットがない時代は情報を得られる場所が限られていた 

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現代は情報化社会で、必要な情報をインターネットを通じ簡単に収集することができます。

ちょっとした法律や医学のような専門的な知識ならお手持ちのデバイスですぐに調べることができますよね。

本記事でも就活事情や大学生の勉強時間などをインターネットを通して参照しました。

 

しかし、インターネットが登場する前は知識は勉強するか、専門家に聴くしかありませんでした。

そのため、専門書が蔵書されていてかつ専門家の話を聴ける環境がある大学に進学することやランクが今より重要だったと考えています。

 

大学に行くこと自体特別なことだった

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2018年4月時点で、日本の大学数は768校あります。

いわゆる大学全入時代で、大学に行くことだけでは差別化することができません。

 

しかし、大学が設立され始めた幕末から大正時代までは、大学数が少なかったため、大学に行くこと自体が特別なことでした。

日本の大学の設立年はこんな感じです。

【大学設立年】
・慶応大学 :1858年
・東京大学 :1877年
・早稲田大学:1882年
・京都大学 :1896年
・東北大学 :1907年

 

1990年代に入りようやく大学進学率が30%を超えるぐらいです。

そのため、大学進学者の割合が少ない1990年代までは、大学進学が他者との差別化する機能をしていたのではないかと思います。

 

まとめ

 いかがでしたか?

冒頭でも注釈を付けましたが、本記事は大学受験制度や大学を批判している内容ではなく、学歴に偏向しすぎているのをディスってる記事です。

 

平成が終わろうとしている現在、学歴で評価される時代は終わりつつあります。

もし学歴で悩んでいる読者の方がいたら、昭和の価値観なので気にしなくていいのではないでしょうか。

 

以上、大学中退したフリーターの戯言でした!